未解決の女子大生エリサ・ラム変死事件…現場は有名な呪われたホテル

絢爛豪華なホテルで自殺が多発

未解決事件の舞台となったセシルホテルの呪われた歴史

1924年、実業家のウィリアム・バンクス・ハナーが、ロサンゼルスでセシルホテルの建設に着手した。

ステンドグラスの窓、大理石の彫刻とロビー、600の客室。

上流階級の観光客やビジネスマンに向けた豪華絢爛なセシルホテルは、1927年にオープンすると大きな話題となり多くの宿泊客で賑わった。

しかし開業から僅か2年後、1929年10月にアメリカの株式市場が大暴落して経済が崩壊すると、ホテルの客足は遠退き周辺地域のストリートにはホームレスが集まり犯罪が多発。

やがてセシルホテルは薬物の売買や使用、暴力行為など犯罪の温床となり、同時に不可解な自殺が多発するようになる。

 

記録に残っている中で最も古い事故は1931年11月、46歳のWK・ノートンがチェックインした後に部屋で服毒自殺によって命を絶った。

およそ1年後の1932年9月17日、部屋の清掃をしようとしたメイドが、頭部を拳銃で撃ち抜いて自殺した25歳のベンジャミン・ドディッチを発見。

1934年、53歳の元陸軍医ルイス・ボーデンはカミソリで首を切り裂いて死んでいるところを発見された。

遺体の脇には遺書が残されていて、健康状態の悪化を苦にして自らの手で人生を終わらせる旨が記されていた。

1937年、女性の宿泊客グレース・マグロは、ホテルの歴史の中で最初の飛び降り自殺者となった。

ただ、9階から転落した彼女の遺体には電話のコードが巻きつけられていたため、本当に自殺だったのかは定かじゃない。

1938年、38歳の消防士ロイ・トンプソンはホテルの最上階から投身自殺。同じ年には39歳の海軍将校アーウィン・ネブレットが、客室で服毒自殺している。

 

オープンからたった10年の間に、これほど自殺が相次いでいるのだ。

その後も、セシルホテルでは数え切れないほどの自殺が断続的に発生。

最近では、2015年に身元不明の男性がホテル前の路上で死亡しているのが発見された。死因は公にされていないが、おそらく投身自殺だと見られている。

多くの人が最後の死に場所としてセシルホテルを選んでいるのは紛れもない事実。

それだけでなく、セシルホテルは過去にロサンゼルスで発生した凄惨な殺人事件とも、実に縁が深い…