日本で発生した事件を警察が解決に導く割合は、約3割と言われている。
世界的に見れば、日本は凶悪犯罪の発生率が低く、安全で住みやすい国であることは間違いないが、事件を起こした犯罪者の7割は罪に問われる事なく、逃げおおせているのが現実だ。
アメリカの犯罪検挙率は更に低く約20%ほど。
実際に、多くの謎を残しながら未解決のままとなっている事件は少なくない。
1975年にアメリカで発生した幼い姉妹の失踪事件も、長らく迷宮入りとなっていた。
しかし姉妹が姿を消してから40年もの月日を経て、警察は事件の謎を解き明かし犯人逮捕に漕ぎ着けた。
これは、まるでサスペンス映画のような、本当の話…
幼い姉妹の未解決失踪事件
1975年3月25日
アメリカのメリーランド州に暮らすシェイラ・リヨン(12歳)とキャサリン・リヨン(10歳)の姉妹は、ちょうど学校が春休み期間だったので、この日は自宅から800mほどの場所にあるショッピングモールへ出かけることにした。
姉妹はショッピングモールで開催されていた、イースター関連のアート展を見学して、ランチを食べる予定を立てて自宅を午前11時頃に出発。
姉妹にとっては、何度も訪れたことのある馴染みのスポット。
しかし、母親と午後4時までに帰宅すると約束していたにも関わらず、姉妹は午後7時を過ぎても戻ってこなかった。
母親からの通報を受けて、警察は大規模な捜査を開始。
姉妹の事を知る地元の人達からも目撃情報が寄せられた。
「午後1時頃、ショッピングモール内のレストランで食事していた姉妹が、茶色いスーツを着た60歳位の男と話をしていた」
「長髪の若い男性と姉妹が話をしていた」
「3時頃、姉妹はショッピングモールから自宅方面に向かって歩いていた」
全国放送のニュース番組でも姉妹の失踪が取り上げられ、アメリカ国民から大きな関心が寄せられたが、姉妹の行方につながる手がかりは一向に掴めず、事件は暗礁に乗り上げた…
未解決事件の再捜査
幼い姉妹が姿を消してから38年後の2013年、未解決事件を専門とするチームが、改めて捜査を開始した。
これまでの膨大な捜査資料を読み返した捜査員達は、1人の男性に目をつけた。
それは事件当時18歳だったロイド・ウェルチ。
事件発生から一週間後、ウェルチは姉妹が訪れていたショッピングモールへやって来て、警備員に「姉妹がフォード社製の車に乗せられて誘拐されるのを見た」と証言した。
警察はウェルチから詳しい事情を聞こうとしたが、彼の発言に違和感を覚えた。
そのため、ポリグラフテスト(嘘発見器)を実施した結果、ウェルチの発言は「信頼できない」と判断された。
ウェルチも嘘をついていたことを認めたが、当時は偽の目撃情報や事件に便乗したイタズラも多かったため、警察が彼を深く追求することはなかった。
捜査員達は、事件発生からこれまでの間、ウェルチの周辺で変わったことが起きていなかったか調査。
すると、ウェルチは事件後に幼児虐待で3度逮捕され、長期間、刑務所に収監されていたことが明らかとなった。
目撃者は幼児性愛者で病的な嘘つき
刑務所を出所していたウェルチは警察署に呼び出され、再び1975年当時のことについて尋問を受けることになった。
8時間に渡って行われた尋問の中で、ロイドの供述は何度も変わり、捜査員は「病的な嘘つきだ」と疑いを強めた。
捜査員は根気強く対話を続けていくと、ウェルチは徐々に自分の罪を認め始めた。
「亡くなった父親と叔父が姉妹を誘拐するのを手伝った」
「姉妹のうち1人が殺害されるのを目撃した」
「当時、家族が所有していた土地で姉妹は焼却された」
具体的な証言をする一方で、自分が姉妹の殺害に関わったことは一切認めなかった。
その後、姉妹の殺害に関して起訴されたウェルチは「父親と叔父が姉妹を殺害した」「自分は悪くない」と主張し、無罪判決を求めたが、2017年に、第一級殺人で有罪判決を受けた。
こうして、幼い姉妹の失踪事件は40年余りの月日を経て、一応の解決にたどり着いたが、二人の遺体は発見されていない。